大家族での生活
私は長崎県で、昭和33年、6人家族の長女として生まれました。
父と母、弟と妹二人、そして私を含めた家族でしたが、家には祖父母や叔父、叔母たちも一緒に暮らし、総勢11人の大家族です。
昭和祖父と父は二人で井戸を掘り、井戸枠などを作る仕事から、土建業を営むようになります。
母はその仕事を手伝っていたので、私が幼い頃、家族がそろって食事をすることはほとんどなく、家族はバラバラな状態でした。
父と母は仕事で忙しく、家にいることが少なかったため、食事の支度は主にお婆ちゃんが担当していました。
父の病気と死
そんな中、中学や高校に通っている時、父が脳卒中で二度倒れたことがありました。
その出来事をきっかけに、夕食の準備は私がするようになります。
そんな中で、大学受験に挑戦しましたが、2回の受験に失敗しました。
そのまま浪人することもできず、ある意味で仕方なく栄養士の専門学校に進学することにします。
専門学校に行くために家を出て一人暮らしをしていましたが、23歳の時に父が急死し、実家に戻ることになりました。
朝5時半に起きて妹のお弁当を作り、夜21時まで会社の集金などの仕事を手伝っていました。
家事や両親の仕事の手伝いは、として忙しい日々でした。
このままでは、家のことで人生が終わってしまう。家を出たい。
そう考えた私は、結婚しかないと考えて、29歳でお見合い結婚をしました。
結婚生活そして離婚
しかし、その結婚相手だった相手は、結婚当初から喧嘩が絶えず、今でいうDVのような状態になります。
一人息子が3歳になる頃には家にお金も入れないような状態になってきました。
さらにDVはエスカレートしていき、子どもの前でも手を挙げられるようになりました。
その元夫が交通事故を起こし、会社から解雇され、無収入の状態が長く続きました。
この状態ではだめだと思い、子どもが13歳の時、元夫には何も言わず、逃げ出すように家を出て別居することにしました。
そこから離婚することになりました。
エステサロンの開業
その頃の仕事は、結婚前から実家の仕事を手伝っていたので、そのまま働いていましたが、家には入れてもらえず、実家の近くで家を借りました。
ですが、もともと母との折り合いが悪い状態でした。
そういう状況も打破したくなり、9年後に仕事を辞めさせてもらい、自宅でエステサロンを開業しました。
東洋思想との出会い
幼少期から自分が欲しいものを言える環境ではなく、自分の気持ちを抑え続けてきました。
その結果、自分の好きな食べ物さえわからなくなっていることに気づいたのは、10年ほど前に受けたTOEという心理学講座でのことでした。
自分の「好き」がわからないということは理解できましたが、どうすればいいのかわからずにいました。
そのときに出会ったのが東洋思想であり、自然の中から自分を見つめ直すというものでした。
心理学やスピリチュアル系の講座は数え切れないほど受けましたが、私にとって自分を発見するのは難しいことでした。
しかし、中国五千年の歴史を持つ氣学や算命学が教える方法で自分を見つめる方が、私にはずっと簡単でした。
この方法を踏まえて、皆さまお一人おひとりに合った方法をご提案できればと思っています。